飛び級があったらよかったのにな、と思うことがある。

揺れる水の入ったグラス
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 歳を食い、かつ自分のことがようやっと判明したからか、最近よく、飛び級があったらよかったのにな、と思う。
 昔もそう思っていたけれど、やっぱり、今でもそう思う。
 その思考の記録も兼ねて、ぽつぽつと書いていく。

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近年やっと、軽度あるいはグレーゾーンの発達障碍者であると気づいた

 まず初めに、私は発達障害である。
 程度は軽く、ここ3年ぐらいでようやっとその認識ができてきたように思う。
 それが判明するまでいろいろ精神がえらいことになったりとか、いろいろあった。
 そうなるまでになんで気づかなかったんだと人は思うかもしれないが、如何せん時代と、私になまじっかそれなりの能力があったのが原因だ。

 幸か不幸か、私の知的な意味での能力は、それなりに高いようだ。
 学習に障害もなく、しかもどうやら高校生までは割合偏差値が高めの人生を送ってきた、と思う。
 数学が好きだし、暗記は不得意だけれども、それ以外の軽い文章の読解ぐらいなら、センター国語ぐらいならそれなりに解ける。
 発達障害によくあるように、大学までの入試は割と問題なく通った。
 これは、おそらく発達が普通の人なら幸運に属するのではないだろうか。
 しかし私は、逆にその程度の能力があったため、それを人付き合いだとかそういうものに、本来不向きであるのに無理やり適用して、障害が発覚するまでどうにかこうにか人生を送ってこれてしまった。
 それにより、自分がどういうものであるかに気付くのが、大いに遅れてしまったのだ。

 一例をあげる。
 発達障害の特徴として、「冗談が通じない」というものがある。
 私も冗談が通じにくい。たとえ話なんかは脳内に例文や経験が蓄積されているのでそれなりに理解できるのだが、冗談らしき内容だとわかっていても、その人が冗談のつもりで言っているかどうかが分からない。
 多分、定型発達と呼ばれる人々ならば、雰囲気とか、その人の性格から判断できるかもしれない。
 しかし私は、そもそも発達が未熟であるからか、しばしば顔の判別にも自信を持てないうえに名前と一致させるのも難しい。その上に種々の問題も伴うため、コミュニケーション能力が低い。つまり、「その人の性格」を個別に詳しく蓄積するだけのコミュニケーション能力に乏しいのだ。
 雰囲気はそれなりに感じれる気はするが、どうやら自分はほかの人と違うらしいというのは昔から薄々感じていたので、それが正しいのかも判別がつかない。
 ではどうしたか、というと、「おそらく冗談らしいが判別がつかないと自分の精神や後々のこの人に関する判定に色々と支障が出そうだ」という場合は、「念のためだけど、冗談?」とか、「ん? えーと、ごめん、もっぺんー」などと、当たり障りのないことを言って、その場をやり過ごすことにした。明らかに冗談だろう、と私でもはっきりわかる場合は何も言わないようにもした。
 この応答にたどり着く前は、「んと、ごめん、冗談とかちょっと苦手なん」と伝えるようにしていた。
 そうやって、少し冗談の通じにくい子、でやりすごしていた。

 要するに、何をしたかというと、「とりあえず当たり障りなく過ごせそうなアルゴリズムを脳内に作った」のである。
 人が話しているときはとにかく区切りがつくまで黙っている、しゃべりだしが重なったら譲り合う、名前は自分の中でIdentifyできるまで呼ばない、目の前の人が好意で教えてくれているらしいことには(自分の性格や自分内の常識、法律に合わないものでもない限り)理解ができなくても「一般的な人々はそういうものだ」と判断して真似る、かばんは一つに纏めてその中に必須のものを入れておく、曖昧な指示が理解できなかったら「~ということでしょうか?」とより詳細度を上げて尋ね返す、人の気分を害しそうならとりあえず「ごめんだけど」系のクッションを入れる、etcetc…
 こんな経験ベースのアルゴリズムをなんとなく頭の中に構築することで、そんなに応用はできないものの、すくなくとも今まで多く経験した状況ではそれなりに無難にすごせるようにしていたのである。
 そんな風にしてある程度うまく、自分はきちんと「人間のように思考している人間であるように」振舞っていたのだ。

 そんな風にするととりあえず当たり障りなく、「ちょっと変わった子」ぐらいの認識でいける。何故その判断をするか意味が分からなかったりしても、何とか取り繕っていた。

 それが裏目に出たのだ。

「これでそれなりに何とかなるということは、皆も少しはそんな感じなのだろう」と思ってしまった。

 そして、親の目も、ごまかしてしまった。
 ある程度ほかの人間の真似をするアルゴリズムを作って、それなりに繕うことが自分にとって結構な負担でだったにもかかわらず、自分はちょっと他の人より変わってるだけだと思ってしてきた努力、それによって、自分が「そういう生き物」であるという診断を受ける時期を後れさせてしまったのだ。

努力の方向の誤り

 診断を受けてから自分の感じるものはその前よりましになったように思う。
 診断を受ける前の「努力」をする労力は減ったにもかかわらず、だ。
 要するに、完全に努力の方向を間違えていた、といえよう。
 そして、それによっていろいろな歪みも生じてしまった。

 自分がこんなに合わせるように苦労しているし気を使っているのに、何でみんなはやすやすと私にはよくわからない価値観を持って、そうしてそれが簡単なように振舞っているのだろう、と、今思えば結構なフラストレーションを抱えてしまう羽目になっていたのに、それを解消する道から私は「努力して」遠ざかってしまっていた。
 人と話すのがいつになっても慣れないし、一つのことにずっとこだわって、切り替えがうまくできなくて、そのくせ変なところでちょっと気が向いたからと所謂「わき道」に衝動的に走ってしまって、そのコントロールが自分でもできない。だというのに、頑張ればできてきたからとどうにかしようとしたおかげで、まあ色々とぐちゃぐちゃになるまで、自分がそういう脳のつくりをしてしまっているらしいという診断を受けるのが遅れてしまったのだ。
 私が今までしてきた努力は何だったんだ、という感じである。
 しかもなまじっか前述の「これはたぶんこうしたらいい」アルゴリズムが身に沁みついているため、なかなか修正が効かないのだ。例えば私は少し潔癖だったのだが、それは小学校で教えられた「手の洗い方」などを守ってきただけで、もうちょっと適当にしていいとか、そういう基準を修正するのに時間を要した。これからも似たようなことがあると思う。

 コンピュータで例えれば、性能が普通のCPUのほうがしやすい計算を無理やり性能が低いCPU+そんなに性能は高くないGPUでやってきたようなものである。本来CPUがスムーズにこなせるものをGPUで無理やり何とかしてきたら、そりゃあいろいろな面でガタがくるというものである。GPUとCPUを入れ替えて考えてもいい。GPUでは高速に行える処理がCPUでは時間がかかることがあるというのは、GPUの役割からして明らかである。

 では本来どこに努力すべきかというと、「周りにある程度失望してもらう(知能に釣り合う発達をしていない、同じように動ける性質を持っていないと理解してもらう)」かつ「自分の特性を把握したうえで、多数の人の考え出したメソッドをテストするなどしてより楽に生きれるようにする」という方向に努力するべきだったのである。

 なにせ、CPUとGPUに脳内で例えてしまう程度には、ほかの人と私は違う。発達の方向が色々と欠けているし、妙な感じなのである。そのため価値観も奇妙だ。
 つまりその価値観を、例えば療育であるとか、そのたぐいの手段でそれなりにちゃんと整備しておくべきだったのかもしれない。

 そのあたりを表していると思う、母と私のある日(診断が下りた後)の会話の概要が以下のようなものだ。正確なセリフは覚えていないが、確か以下のようなものだったと思う。軽度の発達障害の私の脳を通しているのもあり、ある程度の不正確さ、アバウトさは許していただきたい。

私: それにしても、こんだけ厄介だし、育てる最中で妹とは明らかに違ったんでしょう。学部の時とかすごいケンカしたし、その辺色々迷惑なのに、よく私を見捨てなかったなって思ってる。
母: え、なに。迷惑だと思ったら捨てられると思ってたん?
私: うん。
母: そうやったん。
私: うん。

※このとき、「だからちゃんと父さんと母さんに気を使わなきゃって思ってたんだけど、できなかったなあ。」といったような内容のことを話したような気もするが、そこは覚えていないので割愛。

 母は割と定型発達だろう。妹が明らかに定型発達である上に、コミュニケーション能力がとてつもない女性になったのは母の遺伝子と育て方が大いに関係していると思う。しかも、そんな定型発達の妹と私を見事にバランスをとった形で育て上げたのである。
 時代的に私がそういうものであるということを家族は近年まで(もしかして、と思っていたかもしれないが)気づかなかったため、色々と衝突は発生したが、そんな環境の中でも非常に良い形で育ててもらえたと思っている。進路もだいたい好きに選べたため、前述のフラストレーションはたまっていたかもしれないが、一面では時々の楽しさも持った人生を送ってこれたと思う。
 その母をして、このすれ違いである。母は私を捨てようとしたことなど私の記憶と知識の及ぶ限り一度もない。大体私がやっかいすぎて「いやになる」とけんかの中で言い放ったことはあるが、振り返れば私のそぶりが相当なものなのでそこは妥当だろう。その上喧嘩の外では愛情深い母であるし、喧嘩の中で私を今後攻撃することをにおわせるような発言を放たれた覚えは私にはない。思い返せば母は「いやになる」系のことは言ってもそれが私が嫌、というのではなくこういう事態がいやである、と私にも分かる文脈で言い放っていたので、つまりはその一線も守って…私よ、よく母の子供に生まれられたな、運良すぎないか…。
 それぐらいの母であるのにこの理解と価値観のすれ違い。喧嘩もして相当の困ったやつだというのになぜかまだ家族でいる家族を見て、私は「家族の情とはこのようなものなのか」と納得できたようにすら思うが、その納得が来たのも成人してからだんだんときたような、というぐらいの価値観の進行具合だった。しかし、どうやら知能でごまかし続けた結果母親はそうだと思っていなかったのである。
 そりゃあ母親が言ったルールは守れるなら守るとアルゴリズムに加えて生きてきたし、といえばそうなのだ。
 しかし、どう考えても私が一部哲学的ゾンビ的なことをしている。
 一部の事柄に関してゾンビ並みかは知らないが、理解というか発達というか、そういうものが足りていないのだ。
 それなのに人間の真似をしたためさらに価値観がおかしくなって、かつ問題が顕著に生じなかったためにそれを修正していなかったという厄介さである。しかも後々実際に問題は生じたし、上記の会話の後母親はどうもショックというかよくわからない体験をしたような顔になっていた。
 努力の方向が誤っていたと断言しきれなかったとしても、正しかったとはとてもいいがたい。

 で、そのあたりについてつらつら考えているときに思った。
 時間、もっとほしかったな、と。
 もう少し言えば、小学校段階でサクサク進めることができていた教科にかけていて、正直授業中暇だった時間を、コミュニケーションであるとか、発達のカバーにあてたかったな、と。

軽度発達障害での時間の重要性

 軽度の発達障害だと、実は普通の人ができるたいていのことは時間をかければ一応はできる。
 ただ、その中でも苦手なものにかける時間が2倍から10倍とかもっとそれ以上かかったり、時間を縮めたらどこか抜けた成果が出たりするし、その上疲労とストレスが定型の人以上にたまるのだ。それはもうたまる。

 でもそれでも、人と話したい、と思っているのであれば、特にコミュニケーションなどは、繰り返したり、こんがらがったときはゆっくり時間をかけてもらうことで可能だし、そのたびに精度は向上する。
 これは私のことなのだが、自分は少し変なのだと了解している上で、それでも楽しくおしゃべりしてくれるような、自分から好意を向けている相手とは、疲労はどうしてもある程度たまってしまうが、ストレスもそんなにかかりにくくなるように思う。

 また、その話した人が、「この人は軽く障害を持っているのではないか」と気付く可能性も高くなる。私の経験上、私とそのように会話を成り立たせてくれる人は大体人がかなりいい。要するに、今の時代であるのならば、いろいろと情報を仕入れて、診断に向かう道筋を多少なりとも進ませてくれたり、改善に近づける情報をくれる。

 ただ、そうするには制約がある。
 見出しにも書いたが、時間である。

 まず、相手に「自分は少し奇妙だが、あなたとお話をしたい」という意思を伝えるのに時間がかかる。それで会話をしたとして、途中でこんがらがったときに理解を整理させてもらうのにも時間がかかる。
 そしてどうしてもたまる疲労をいやしたり、そもそも疲労の許容量に対する割合を減らすために運動をするためにも時間がかかる。
 そして相手、とりわけ軽度発達障碍者側が未成年であるならば親が、会話対象の奇妙さ、おかしさに気付くのにだってそれは時間を要するだろう。
 そもそも、発達障害者の症状は、単発なら誰でも体験したことのある話ではある。忘れ物などがそうだ。だがそれを頻繁に繰り返すのが発達障碍者というわけで、それに気づくには頻度を判定できるだけの時間、つまり繰り返すだけの時間がいるのである。

 そう、とにかく、時間がいるのである。

 そして私に関してもそうで、そして今までの人生を振り返った時、思ったのだ。
「あの時もう理解して正解率も高い計算を繰り返しやるより、その時間分教育課程を先に進んだり、苦手な教科にあてたかった」と。

飛び級と時間

 制度によって様々な違いがあるだろうが、飛び級をすると、一部の過程を省略して、学問を進めることができる。これにより頭が柔軟な時期に教科の知識を先取りして学べるほか、学年が繰り上がった場合、その先々の修学年齢が繰り下がる。
 これにより何が起こるかというと、ひとえに、「時間ができる」。これは、飛び級をしたその時か、その先かを問わない。とにかく、時間ができる。
 それによって何ができるかというと、余裕だ。
 例えば発達障碍者がコミュニケーションを訓練する余裕。疲労をいやす余裕。診察を受け、診断を受け、資料を集めて対策を練る余裕。
 定型発達の人もそうだろう。さらに先に先に駆けていくためにその余裕を使うし、もし先に進むための精神年齢が足りないならば倫理を把握するための余裕。一休みしたいなら、一休みするための余裕。そういうものが、飛び級があれば、できるのではないかと私は思うのだ。

そして「飛び級があったらよかったのにな」と思う

 上にも書いたことなんかをぼんやり考えて、私は時々思ってしまうのだ。「飛び級があったらよかったのにな」と。
 日本には、飛び級はないにもかかわらず。

 私はサヴァンというほどには優秀ではない。もし飛び級があったとして、せいぜいジャンプして通れるのは小学校の3年間分ぐらいだろう。受験制度で上を狙わないならもう少し長い期間をスキップできるかもしれないが。
 それに、もし実現してもなにか思わぬ障壁が生じていたかもしれない。
 ただ、それは、飛び級をしなければわからないのだ。今知っているだけの情報量では、その不利益は私の思う時間の利益を上回らないのではないかと思ってしまう。
 そして、なかった現在、私は失われた時間を惜しく思っている。精神的には欠けた落ちこぼれでありながら、得意教科の授業時間中は吹きこぼれて、退屈していた時間。
 あの頃私は、飛び級をしたかった。塾並みの速度で勉強して、もっとさくさくと学習課程を進んでいきたかった。
 もしあの頃に、飛び級はできないまでも、授業の時間を減らして、時間を作れていたら。

 もしかしたら私は、もっとコミュニケーションがうまくなっていたかもしれない。
 ある意味哲学的ゾンビに似た挙動をしながらも、もっとうまくやって、自分でもその労力を減らして、一生をやって行けたかもしれない。
 もしくは、その時間で会話が増えた親が、私のおかしさに気付いて、長じてからでも病院に連れて行ってくれたかもしれない。
 そうしたら私は、今、こんな状態で抱えている、生きていく苦しみを、もう少し軽くしたり、一度二次障害でぶっ壊れなくて済んだのかもしれない。
 そう思ってしまう。

 だからこれからも、私は叶わなかったIFについて、考え続けるのかもしれないと、やっぱり、考えている。

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