日々良くあるブログ記事のようなことも書く傍ら、メモなどもこのサイトには収蔵しています。
なぜそうしているかについてなど、つらつらと。
以前書いた記事ともかぶっているところがあります。
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目次
前提: 人間は忘れる生き物であり、その中でも自分は忘れっぽい
人間の脳に蓄積できる記憶の容量はとても大きいらしいです。でも、通常はその記憶を引き出せなかったり、引き出すにも時間がかかったり、きっかけがなければ思い出せないということが多いです。
この「思い出せない」を、忘れる、と呼ぶのだと思うし、私もそうとらえています。事故等で脳から物理的に消去される可能性もあると思いますけれど…。
で、その中でも自分は「忘れっぽい」部類に入ります。時々なんだか細かいことまで覚えているんですが、忘れるときは本当に忘れっぽいです。
元々、同時に扱えるメモリというんでしょうか、処理量に偏りがありまして、「記憶を引っ張り出すのが難しい分野」のことはかなり苦手なんですね。
世の中の雑学とか怪談だったり、ポケモン(旧金銀まで)の名前とか、ある程度の学年(さすがに大学数学の発展分野の公式などは長すぎたりあまり使わなかったり、使うものも調べればよいものだったりでうっすらです)までの公式の導出法などは思い出すスピードも速いのです。
しかし、その他、誰と具体的にどういう雰囲気でどういう会話を交わしたとか、あの時あった人は一回しか会ってないが確かこんな顔だったとか、そういうものを思い出すのに時間がかかったり、忘れてしまったりします。
かつ得意分野でも、年齢もあるのか、特にプログラミングなどは情報量が多く複雑ですし、「検索をすればいい」と思っているが故に勉強したテクニックを忘れてしまうこともあります。
日々考えていることもぽろぽろと、継続しません。特に睡眠を挟むと、悩みも一旦リセットされやすいのはいいんですが、それと共に色々吹っ飛びます。
そんな感じで忘れっぽいので、何か書きとめておく必要が大いにあるのです。
それで、その調べたり、考えたりして、書きとめておきたいことの中で、ネットに公開しても良いものを、防備録を兼ねてブログに記すことにした次第でした。
ブログを外部記憶装置として用いるメリット
それでは以下に、調べたことについて纏めておくメリットを書いておきます。
記憶容量の物理的な増強
物理的に記憶容量が増強されます。
つまり、「外部記憶装置として用いる」と書きましたが、その名前の通り、ブログというある種の外部に記録することができるのです。
これにより、記憶をとどめておくことに対する処理コストを減らすことができます。
要するに、「これは忘れてもブログにある」という状態にしておくことで、脳の処理や容量を楽にすることができるのです。
自分に分かる形で記録が残る
これは、上の記憶容量の物理的な増強とも関係しますが、ブログには、(少なくともその時点の自分に分かる形で)記録を残すことができます。
何せその時点の自分が書くので、そこは結構自明かなとも思います。本人ですから、自分に読みやすい文章を書けることでしょう。
つまりは、知識を思い出すためにそれを閲覧したとき、多くの場合自分に分かる形、自分に理解しやすい形で思い出したい情報が書かれているわけです。
ほかの人の書いた文書では、かなり自分と頭の中が一致していたり、文章がある程度の水準を超えるなめらかさを持っていないかぎりは、どうしてもその文書に頭の中を調整しなければなりません。
ですが、自分の書いた文章であれば、その調整の度合いを少なくすることができるのではないかと思います。
さらに、自分ですから、自分がその時点で何を参考にし、どの文章を後で参照すると予測して、リンクもブログに記録しておけば、後から思い出しやすくもあるでしょう。
「この事例に対してあのサイトはより詳しいことを書いていたと思うのだけれど、どこへのリンクだったろうか」という場合も、ブログに記録してあれば、関連キーワードで検索して引っ張り出すこともできるのです。
そんな風にして、「自分に参照しやすい」文書を作り、保存しておくことができる、というのは、大きな利点だと私は思っています。
記述内容の変更方法が限られる・執筆者には書き換えが楽・場所をとらない
さて、上2点を補強してくれるのが、「記述内容の変更方法が限られる」点、そして「執筆者には書き換えが楽にできる」点、「場所をとらない」点です。
1つ目については、ブログですから、物理的な障害が起きたらそうでもないですが、まあその確率は低いですし、バックアップも割と簡単に取れます。セキュリティも、ある程度きちんと対策していれば、個人の使用範囲内ではまあ問題ないでしょう。
2つ目については、これは電子文書の作成ではだいたいいえることですが、書き換えという点に関しては、神にペンで書くよりも便利な点があるということです。
編集画面を開き、適当なテキストエリアを選択して、キーボードを叩けばたやすく内容が変更できる。
これは、メモに手書きで記録を行うよりずっと楽です。
3つ目についても自明です。物理的に場所をとりません。サーバを自分で立てているならば別ですが、レンタルサーバであれば、自室や作業スペースをとることはないでしょう。自分のサーバでも、増設でもしない限り、データ量にあわせてその大きさが変動するということはありません。
ついでに、レンタルサーバについてはおそらく効率よく収納されていますし、サービスを提供する業者が様々な管理も行っているようですので、物理的な障害などについてもそれなりに利点があると思います。
知識整理も同時に行える
記事を書くと、知識の整理も同時に行えます。
整理効率でいえば、紙に手書きもなかなか良いのですが、「人に見せること前提」「後で自分が見ること前提」で、「コンピュータ上のブログ記事というものになるように」アウトプットする、というのは、結構な整理になります。
ブログ記事は、大体の形式として、上から下で横書き、画像や表を使いつつ、見出しで区切って段落で内容を表現する、という方式になります。
そこまで落とし込んで記事を書いたり、説明もしくは自分で覚えておくための画像を作成したり、という過程で、自然と知識が整理されていくように思います。
私の通常では、大体「インプット→頭の中で混沌とする」といったかんじで、アウトプットも「話しながら整理しつつ」、とか「時間経過で自然に脳内整理されたものを必要に応じて引き出す」だったりします。
ブログに記録していると、「ブログ記事にするためにアウトプットしながら整理」というのがそれに加わって、結構頭の中で纏める補助にもなるような感じがするのです。気のせいといえば、それまでかもですが…。
結論: ブログは外部記憶装置としてそれなりに有用である
見出しの一文につきますが、要するにそういうことです。
なんでもいいので纏めて書き出しておくことで、自分内の容量を圧縮したり整理したりできるというのが、忘れっぽいし色々容量(ワーキングメモリというのでしょうか)の少ない私には、結構いい感じです。
その上でもしかしたらその知識を他にも求めている人がいて、ブログを一寸見てくれて、という感じで読んでくれれば広告収入も入って、ブログの維持代が浮く可能性も高まるので、更にいいかなあ、とも思ったり。
読む側としては、他の方のブログの、防備録的な記事に、プログラミングでも助けられたりしますので、良いものだなあ、と思うことしきりです。
なぜ外部記憶装置として有用であることが私にはそれなりに重要なのか
定型発達の方の中には、「書き出すのは大事かもしれないが、上に書いてあることぐらい、態々ブログに記録しないでもほんの少し木を使うだけで」と思う方もいるかもしれません。
ですが、私には、この外部記憶装置としての有用さが大事です。
なぜかというと、「そうでもしないと情報をうまく裁ききれない」からです。やろうとすると、多分するべき事とか、そういうことには手が回り難くなる感じというか。
結局のところ、そういう処理能力のバランスが悪いタイプであるようですので、そのバランスを、ブログを外部記憶装置と思ってからは、それに頼ることでちょっとでもましにすることにしたのです。
その他コメントなど
ブログの外部記憶装置という側面についてつらつらと書いてみました。
ちょっとしたメモでも記事にして保存しておけるのはよいものですね。デジタルがこの段階まで発達していて良かったなあ…。