ADHD/ASDと私のこと。

 私は所謂発達障害の当事者です。一応診断も受けています。
 というとなんだかきつそうですが、実のところ、それなりに年を食うまでそれは発覚していませんでした。つまり、その程度にはうっすらした、軽いものです。軽いけどふとした拍子に薄らその特性が出てきたりして、それがまた疲れてしまうのですが…。
 とりあえずASD的こだわりとして、ブログで書いてることは(創作含めた短文カテゴリのもの以外)嘘は書かないようにしています。サイトポリシーで態々そのへんの、このブログの情報の正確さについて書いているのも、多分その辺から来てるのかもしれません。
 で、ADHD/ASDについて、診断を受ける前やその後、色々調べたりしました。それについて、自分がどんなかんじなのかも交えつつ、一寸つらつら書こうと思います。なお、これは極軽い、いち発達障害当事者の解釈ですので、正確さを求めると、誤りがあるかもしれません。その点をどうかご理解いただきまして、ふわっとした理解に役立ててもらえればと思います。

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発達障害についての私の解釈

 大まかに、誤謬を含めて言えば、生まれつきの脳の障害です。脳の働きが、所謂通常の発達をする「定型」の人よりもアンバランスであるというか。脳のあちこちが機能不全だったり、それとは別の部分はたまに発達したりもしていて、それによって空気が読めなかったり、人のいうことの裏が読み取れなかったり、酷く疲れやすかったり、あるときは逆に強烈に活動したり、欲望を抑え切れなかったり、とかそんなことになります。

 それぐらいたまにあるだろう、と思うかもしれません。たまに怠け者や甘えじゃないか、という言説を上げ、それに対して色々説明している記事なんかも見たりしますので、そう思う方は多いからそうなるのかな、と思います。

 が、発達障害の場合、空気が読めない頻度がとんでもなかったり、自分が一つのことに夢中になって活動しだすのを、止められなかったりするのです。知能には別段支障はないのに、空気が読めない頻度や、活動を止められない不便さや、そういったことが、生活を送るときに大きな壁となって立ちはだかる。性格というには自分の心では生まれつき(幼い頃から)どうにもならず、しかもそのどうにもならないところがいくつかの傾向に当てはまるなら…。そんな感じなのが、発達障害です。診断には心理検査などがいるので、もう少し具体的な、数値的な基準になるかな、と思います。そこまでは調べられていませんし、その基準を持っているのは専門のお医者さん達だと思います。なので、あくまで「そんな感じ」です。

 なぜそんなことに、と思うかもしれません。それで最初の文言です。生まれつきの脳の障害なのです。しかも治療法は探られていますが、通常の風邪を治すような治療法が見つかる段階にまでは進んでいません。かといって、入院するほどどぎついものではないことも多いです。どうやら分泌物質の問題もあるのか、ないのか?という感じで、今のところ外科手術でもどうにもなりません。ただ、「とんでもない支障が出ない程度におさえる付き合っていきかた」は色々あり、それを療育や、本などで知ることができます。また、いくつかそれなりに症状を改善したりしてくれる薬(いろいろな人のブログを見ていると、どうも気分や思考力等に関する副作用もあるみたいですし、個人差もあるようです。)もあるので、どの薬が合うかを探り、そして服用していく、というのが、発達障害の治療になります。現在のところ、医療では不治(大人になるに従って自然に改善する人もいるようです)であり、絶対的に根本改善する治療法などは見つかっていないので、死ぬまで付き合うことになるかもしれない障害として、症状に対処していく、という感じでしょうか。

 あえて脳以外の身体的な障害で例えると、左足が生まれつきないとして、左足を生やす治療法というのはありません。でも、義肢をつけたり、残った四肢を駆使して、それなりに動いたり、生活することはできます。そんな感じでしょうか(なお、あくまでも例えです。左足は現在の医学では生えませんが、発達障害では程度により、人よりだいぶゆっくりですが、少しずつ発達することもありますし、大人になるに従って改善することすらあります)。
 視力で例えられている例も見かけます。視力が悪い場合、仮性近視で治る場合だってありますが、しかし眼鏡を常にかけ、はずしては日常生活もままならない、というほどの人の視力を、常人並みに治すのは難しい場合が多いでしょう(レーシックにも未だそれなりにはリスクがあります)。ただ、裸眼では視界が制限されても、眼鏡やコンタクトレンズの装着で何とかなる人もいます。だからといって、「眼鏡をはずしたうえで裸眼で見えないのはあなたが怠けているからだ」というのは道理が一寸通らないかと思われます。つまりは、そんな感じ。

 尚生まれつきでない場合も、外傷や病気などによりだいぶ似たことになる場合もあります。その場合は高次脳機能障害という名前が付いているらしいです。

 さてこの、発達障害における「障害の度合い」ですが、人によって個人差が色々あります。よくグラデーションといわれますが、グラデーションの上に色がまちまちと考えていただいたほうがいいかもしれません。あの人はあれはできるけど、これはできない。この人はあれはできるけど、これは難しい。そんな感じに、「どこがどの程度か」というのに違いがあるのです。というか私なぞ、微妙に軽度であることもあるのか、自分のことですら良くわかってなかったりします。

 例えば、私はコミュニケーションは得意ではありませんが、何とか気合を入れれば時間を守りつつ何人かと一緒に一日楽しく遊べます。その日の夜おそらく普通の人よりすごく疲れているかもしれませんし、それを理由に人と遊ぶのを避けることもあるかもしれませんが、そんな感じです。
 でも、きつい人などは、私の何倍もの気合を入れて、それでも時間を守れず、何とか許してくれる友達と一緒に遊ぶので精一杯、ということだってありえるのです。また、場合によっては、遊ぶ途中で別のものに興味を抱き、堪えきれず一人だけ友人から離れてそちらのほうへ走ってしまう、という人だっているでしょう。

 そんなふうに、違いがあります。

どこから発達障害?

 これは病気の基準としてもいえることなのですが、後々、あるいは現在、他人及び自分が生活に支障を受ける程度のものになると、発達障害といえるのかな、と思っています。

 例えば、「妻を愛しており、週末食糧の買出しで疲弊していることを知っている。であるので、週末である今日は妻の好きな土産を買い、妻が分担している家事もいくらかこなそう」と普通の人は考えるとします。
 でも、発達障害の人は、「妻を愛している。週末は…ええと、彼女、なにしてたっけ。ええと、ええと、ええと…、ええと。メモ、メモ、そうだ、土産と家事、家事は覚えてられるかな、予定帳…あったあった、書いて、お土産、彼女の好きなもの、なんだったっけ、メモ、メモ…」となりうることだってあるのです。妻を愛している。でも、それと後が結びつかない。それによって、妻に愛情を示せない。そういう支障がかなりの頻度で発生したとしたら…。そんなふうに解釈しています。逆に言えば、それでもちゃんと意思疎通もできて、自分も周囲も本当に全く支障を感じないのなら、それは「診断を受けるまでもない」ことかもしれません。治療の必要が無いのですから。

 尚先にも書きましたが、これは私の解釈です。専門医さんには具体的で数値的な基準がある可能性もあります。

発達障害の特徴はどんなものか

 割と知ってる方は多いと思いますが、有名なADHD、ASDについて書いておきます。とはいえ、この2種類以外の発達障害も存在します。私のように、ADHD/ASDが複合してしまっている場合もあったり。以下のサイトの図等も分かりやすいかしら…?

ADHD

 ADHDとは、注意欠陥多動性障害のことです。その名前の通り、注意が欠陥していたり、他動だったりします。

 注意欠陥としては、例えば忘れ物が多い、ケアレスミスが多い、ということでしょうか。
 他動は、よく動く、という感じ。落ち着かない、ということが代表的な特徴です。

 いずれも、子供ならありそうなことですが、その頻度が他の子供に比べてあまりにも多い、ということから親が気付くこともあるようです。

 詳しくはぐぐるさんに聞いていただいてもいいかと。下記の様な、セルフチェックリスト(≠医師の診断、以下のURLではチェックリスト以外にも気になることがあれば医師の診断を受けることがすすめられています)もあります。

ASD

 自閉症スペクトラムとも呼ばれます。なおASDだからといって自閉症とは限りません。自閉症スペクトラムの重いものに自閉症が含まれている、と私は解釈しています。
 主な症状として、

  • コミュニケーションの問題: 言葉の裏を読むことが苦手。いわれたことをそのまま受け止めやすい。人との距離感がうまくつかめない。
  • 対人関係の問題: 相手の立場になって考えるのが苦手、空気を読むのが難しい。
  • こだわり: なにかの手順にこだわったり、変化を嫌う。急な予定の変更が苦手など。

 といったことがあげられます。私はこの傾向が強いほうですね。最初にも書きましたが、ブログで嘘を書かないようにこだわっています。対人関係も、現実ではあんまりうまくいきません。ネットのSNSなどでは、文字になって文章が語られるため、それに関しての解釈を、(自分の特性などをぼんやり把握している頭で)考えてから、それに対する反応を返せますので、そちらの方が安心してしまいます。

 こちらも詳しくはぐぐるさんでもいいかと思います。なお、今回は以下のリンク含むいくつかのサイト及び、自分の知識を参考にしました:

発達障害の診断は受けたほうがいいのか

 前述したように、発達障害としてあげられる、ADHD(注意欠陥・多動性障害)やASD(アスペルガー症候群、あるいは自閉症スペクトラム)等で、生活もしくは人生に支障が生じていると考えられる場合は、受けたほうがいいです。

 もしかすると発達障害とはまた別の、認知のゆがみといった別のものにつながる可能性もありますし、診断が下りなくても、別の方策をお医者さんは聞けば教えてくれる可能性が高いです。

 それに、私の感覚ですが、診断が下りると、とても楽になりました。

 原因がわかっても根本的な対策がまだ分からない発達障害ですが、それでも、原因が分からないよりはましでした
 原因が分かると、それに関する本なんかを読んで、対策を立てることができますし、「なんでこうなんだろう」と悩む頻度が段違いに減って、それだけでも、元々楽天的な性格ではありますが、随分楽になったと思います。

 なんというか、なんで発達障害になったかといっても、そのへんはもうDNAと脳の運が悪かったんだな、ですむようになったというか(あ、ちなみに、医学的には発達障害が遺伝性かはよく分かっていません。そういう傾向のある親に育てられればその傾向は似るかな、と思いますし、そのへんの統計などが大変なのでしょう。)。

 家族が全うに(仔細省きますが、発達障害だとはっきり分かっていない状態で、診断を受けるに至る事態が勃発するまでわりとなんか結構生きれるように育ててくれました。今でもちょっとしたところでその育て方に助けられています。)育ててくれたのにこうなったのは、自分の性格が悪いんじゃなくて、生まれたときの運が悪くて、それが幼い頃にわからなかったのも、自分が怠けてたとかじゃなくて、あそこで分かってたら割とすごいぐらいの時勢だったからで、ただまあそれが障害として出た以上は対処していかないとなあ、と思えたのです。

 だからといって発達障害が改善されたわけではないのですが、幸いそれなりに環境もよく、なんとか生きていけてます。色々割り切りつつ、それなりに楽になれるように動けたのは、診断を受けたからなんだと思っています。

 なので、もし、根治法が分からなくなってもいいから、原因を知りたい、という感じの、自分では判断が付きかねる、もしくは、自分で判断はつけているが二の足踏んでしまっている、という人は、診断を受けてみてよいと思います。そのへん、早いに越したことはないかな、とも。

 診断、という、自分の中の判断とは別のものは、勿論場合によることもありますが、十分自分を楽にしてくれると思うのです。

 あと、診断があると、周りの人も気が楽になるところはたぶんあると思います。
 先にあげた、「メモを参照しないと妻への愛情を示せない」人は、そういうものだと分からなければ、一見つめたい人に見えます。奥さんだって良い気分ではないでしょう。ですが、そうだと分かっていれば、『本人はメモに書きとめることで、妻のことを思い出せるようにしている』と解釈する事だってできます。そういうことを考えれば、周りの人にも、診断は影響を及ぼしてくれるのではないでしょうか。

 勿論、診断が下ったからといって、障害に甘えすぎるのもあれです。ただ、その甘える甘えないの問題も、診断が下ってこそ生じる問題かな、と思ったり。

 私の考えとしては、そんな感じです。

私はどのエリアにいるのか

 私はASD傾向強めのASDとADHDの複合型、それも軽度なものです。高校までの実力テストはそれなりに(理系分野だけ)良かったような。言葉の裏にあることですとか、雰囲気、忘れ物などは、学力というか、知能というか、それで少しだけカバーしてた…様な気がしますが、カバーできてたのだろうか…。ってぐらいです。

 傾向としてはASDのほうが強い、みたいです。こだわりとかあるし、どうもちょっと人の価値観とは違うようですし。ただ、ADHD的に忘れ物はよくするし、色々と気が散ります。なお気のせいかもですが、育つにつれ自分のコントロールが難しくなったような…。あれです、改善するタイプもいれば逆になるタイプもあるようで、もしかしてそれなのかな、それとも回りの環境が変わったからかな、とも思いつつ、今の自分の対処とか色々をそれなりに頑張っています。

 なお思春期からの自覚としては、「私はどうも周りとは違うらしい」「なんだかズレてしまっている」という感覚が常にありました。ですが、思春期はそういう感覚に陥りやすい、と中二病関連の言葉が頭の中に入っていたのか、長い間治らない中二病かなと思っていたら発達障害でした。本当に周りと違った…。

 そんな感じで、共感性も割とない(でも映画とか小説とかだと一寸泣ける場面がツボに入ったら泣くんですよね、自分でも不思議だ…。)ので、「人間になりそこなっている」ような気分にたまになります。最近はそうでもないですが。あ、でもブログかいてるときは思い出せる限りだと「私は人間だ」っていう気分だなあ。書くのに気をとられているからかもしれない。

その他コメント

 発達障害について書きました。私はASD傾向強めのASDとADHDの複合型、それも軽度なものです。それでも、分かるまで辛い経験もありました。学校の勉強的にはどうもほかの人よりできるらしいのですが、それでカバーするにしても、大変だった。この記事は、そのあたりの吐き出しも兼ねています。
 そんな感じで、今後もたまに吐き出すかもしれません。こだわりか衝動性か、そのへんのおかげで知識欲が出たのか、色々調べて勉強した上で色々考えたりしたので、アウトプットしたいのですよね…。

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